ツメアカ

■ 第六話

 もはやサイズの合わない服ばかりが入っているはずのクローゼットを開けると、その中には新品の服がぎっしりと掛かっていた。そしてをもっと喜ばせたのは、掛かったコートたちの下にそっと置かれたメッセージ付きの花束である。
「ああ、博士!」
 はその花束を抱えて走り出した。突然、自分が癇癪を起こしたことが恥ずかしく思えてくる。とりあえずさっきのことを詫びて、松下と話し合わなければ。
「博士!」
 は研究室の扉をあけた。中は真っ暗だ。自室に帰ってしまったのだとは肩を落としたが、奥から物音が聞こえてハッとなった。
「博士!?」
 部屋の中へ進むと、物音は大きくなった。は少し不安を覚えた。
「博士? いるんですか?」
 が呼びかけると、奥から返事が帰ってきた。
「く、来るな!」
 その声が妙に鋭く力があって、は松下がまだ怒っているのだと思った。
「博士、さっきはごめんなさい! でも、聞い……」
、来るんじゃない!」
 その声を聞いたとき、研究室の中が妙に荒れていることには気付いた。不審者への恐怖を覚え、はとにかく松下のところへと足を速めた。
「博士? どこ!?」
 物音はよりいっそう大きくなった。は花束を胸に強く抱え込み、暗い部屋の中を進んだ。視界に応接セットが入る。そしてそちらに視線を向けると、ソファーの横に松下が立っていた。は走り寄ろうとして立ち止まった。様子が変だ。手に何か持っている。
「博士……」
 拳銃だ。それを構え、誰かに向けている。向けられた相手の方は暗くてよく顔が見えない。窓からわずかに月明かりが入った。相手の方の腕が見える。相手の方も拳銃を構えている!
「博士!」
 が叫ぶとの、松下が後ろに吹き飛ぶのは同時だった。が花束で目を覆って悲鳴をあげた瞬間、後ろから誰かに引っ張られた。
「きゃあ!」
「俺だ!」
 の後頭部に誰かのコートのボタンが当たった。池田だ。
「池田さん!」
「早く、こっちだ。脱出経路は用意してある」
「でも博士が!」
「いいから、逃げるんだ!」
 は松下に駆け寄ろうとするが、池田は有無を言わさずを引っ張って研究室を出た。それからどこをどう走ったのか分からない。気付くとゴミ廃棄用のトラックがよく出入りしている倉庫に着いた。
「おい、こっちだ!」
 備品の影から顔を出したのは栗田であった。二人は彼の方へ走り寄る。
「撒いたのか?」
「ああ、たぶん」
「あ、大変!」
 は自分の持っていた花束を見て息を呑んだ。手の中からはほとんどの花がなくなっている。自分たちの来た方向を見ると、転々と花が落ちていた。
「まずいな」
 栗田が目を堅くつぶった。
「どうしてそんなもの持ってきたんだ!」
 池田が声をひそめてい言う。は弁解しようとしたが、涙に声が詰まってうまく喋れなかった。
「だって、部屋に……博士がくれたものだとばっかり……!」
「とにかく、こっちへ」
 栗田がの肩をつかんで誘導した。はメッセージカードだけでもと、カードを花束から抜き出してしっかり握った。
「いったい、どうするの?」
 が聞くと、栗田は口早に答えた。
「こうなった以上、いったん別の時空へ逃げるしかない」
 でも、とは栗田に言った。
「時間外じゃ転送装置に電力が供給されてないわ」
「別電源のを使う」
「そんなまさか。調査以外じゃアクセス自体が禁止よ、そうでしょう?」
 は池田を見たが、いつもなら違法だ協定違反だと騒ぎ立てる彼が黙って栗田の言うことを聞いていた。
「ちょっと、池田さん!」
 そんなを池田と栗田は通路の奥へずんずん引っ張っていく。
「だめ、こんなの所長にばれたら」
 とが言ったとき、
「三人ともこっちだ!」
 通路の暗がりから津島所長が姿を現し、は絶句した。
「所長、どうして」
「松下博士は!?」
 所長はを無視して池田に聞いた。池田が首を振ると、津島所長は「そうか」と一言だけ言っての顔を見た。
「配線がいくつかやられた。一機だけなら動かせそうだが、なんとか彼女だけでも」
「所長! ちゃんと説明してください、どうして、博士は、博士……」
 所長はの肩に手を置いた。
「よく聞いてくれ。松下博士は平行世界のあるポイントに調査員を数名送っていた。平行するまったく別の世界に、定住することは可能かという秘密裏の実験だ。ごく少人数が平行世界で生活していたが……」
 そう言って突然おかしな説明をされ、は余計に混乱した。
「ま、待って。博士の専門はバイオニックのはずでしょ」
 栗田が背後を気にしながら言った。
「それは表向き。あいつはちゃんと同じ、平行世界の研究をしてた」
「博士が!?」
 津島所長は説明を続けた。
「二週間前、君が200X年地点で船が失踪したと言っていただろう、その失踪した船が時空を越え、ちょうどその彼らが生活調査している世界に出現してしまった」
「でも、そんなことで、どうして博士はあんなことに」
 松下博士が撃たれる瞬間を思い出し、は絶望的な気分になった。
「松下と出資者が、出現したイージス艦への対処でもめたらしいんだが、それだけじゃない。その出資者はどうもこの研究に自分のプロジェクトを持ち込もうとしていて……」
 池田がそこまで言うと、彼の横の壁に突如火花が散った。どうやら壁に弾丸が当たったらしい。
「くそ、追いつかれた!」
 栗田はそう言うとの腕をつかみ、さっきよりスピードをあげて走った。は躓きそうになりながら必死についていく。自分たちの背後でなんどか発砲による火花が飛び、そのたびには悲鳴をあげた。
 細い廊下を走ると、突然開けた場所に出た。壁際には見たこともない数の転送装置が並んでいて、その一つに走り寄った津島所長が緊迫した顔でパネルを操作し始めた。なんとか装置の前までたどり着いた四人だったが、廊下からはいくつもの足音が聞こえている。
「どうしよう」
 栗田の横では池田が拳銃を出して弾を確認していた。津島はカプセルのような装置になにかを入力している。は自分も何かしなければと辺りを見回したが、その瞬間廊下から銃を持った人間が何人も飛び出してきた。池田が何度か発砲してけん制する。
「準備ができたぞ!」
 津島が叫んだ。
ちゃん、これに入るんだ」
 栗田が転送装置を指した。はどの平行世界に転送されるかも分からずしり込みした。
「どこに送るの!?」
「例のイージス艦が飛ばされた世界だ、ナンバー1899、1942年地点! 早く入って!」
 栗田はをカプセルに押し込んだ。
「みんな、みんなはどうするの?」
 押し込まれながらは聞いた。栗田はそれには答えず、
「海に転送されるかもしれないからな。溺れんなよ!」
 と言った。栗田の影で津島の苦笑いが見える。
「調査員に会えば保護してくれるだろう……どうか元気で」
 最後に、お前も何か言えよというふうに栗田と津島が池田を見ると、池田はを振り返って言った。
「他の世界から来たとバレたら、違反だって分かってるな」
 「またそれかよ」と言う栗田の横顔を、彼らがどうするつもりなのか悟ったは首を振りながら見ていた。
「ねえ……待って、マロンちゃん達はどうするの!?」
 はまるで悲鳴をあげるように言ったが、栗田はにこりと笑って透明なカプセルの扉を閉めた。
「だめよ、まって! だめだったら!」
 は扉を叩いたがびくともしない。扉越しに池田の拳銃が弾丸に弾き飛ばされるのが見えた。悲鳴をあげるのもつかの間、今度は装置のスイッチを入れた津島の胸が赤く染まった。栗田がたすけ起こす。彼も腕に弾を受けていた。
「やめて!」
 低い地鳴りのような機械音が大きくなり始めた。空間が歪むような感覚に襲われて眩暈がする。カプセルに弾が当たり、蜘蛛の巣状のヒビが入る。目の前の光景が霞んだ。
「だめ、待って!」
 ゴムを切るようなバチンという音がして、視界が一瞬真っ暗になった。

 

 

 

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